メガネ

めがねの声

(2014年04月28日 140号より)

言葉には出せないことも多いけど...
ずっと前に、新聞に佐村河内守という作曲家の話が載っていました。耳の聞こえない難病なのに、音楽を作曲して、コンサートをやったりCDも売っていました。
父は、「CDを買おうかなと思ったんだけど、なんとなく買うのはやめた」と言っていました。そのあと、ニュースで佐村河内守の曲は誰かの別の人が作ったのだと知りました。
私は、耳が聞こえなくなった障害者が、一生懸命に、大変な思いをして書いたのだと思っていましたので、ウソだったと聞いて、心の中でとてもショックでした。

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時々この「めがねの声」にも書きましたが、私は言葉が出ません。
不思議に耳から聞けばわかりますし、文字も簡単な漢字などはわかるのですが、長い文を読んだり自分の考えを言葉にすることは、とても大変です。知ってはいても、話したい言葉を出すのに大変で、書く言葉も文字の順番が入れ替わったりするのです。
ときどき「言葉あてのゲームをしているみたいね」と言っています。
話しをしても難しい言葉ばかりではなく「おっくう」だとか「~ばっかり」「さっき」とか「たまに」「そうだん」など、よく使っていることなのに、解ってもらうのにとても時間がかかりました。
学校の時は、日記や文なども母が作ったと言われたこともあります。私が文をつくりましたのに先生はそう思っていました。今もそうかもしれませんね。
言語の先生は、間違えてもいいから、どんどん書いてそのまま出してと言ってくださったけれど、私は皆にわかってもらいたいから、ちょっと見て直してほしい。
今はメールや手紙などは、ざっと見てもらうだけで出来るようになりました。「たわわ」と皆さんに見ていただくおかげです。

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言葉に出せないということは、心の中に思うことがないのとは違います。たくさん考えていることもあります。
今とても心配なことは、通訳の母がいなくなったら、私は文を書いたり、思うことを解ってもらえなくなるのではないかと怖いのです。母は、少しずつ書けるようになっているから、心配はないと言いますが。
この頃は、言葉探しで、なかなか当たらないで時間がかかった言葉をノートに書いています。
「めがねの声」は、重い障がい者の思うことを伝えることが目的だから、これからも皆に呼びかけて、頑張りたいと思うのですが・・・。

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佐村河内さんは、ホントはどうだったのでしょうか...。

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