メガネ

めがねの声

(2014年01月10日 137号より)

訓練のための訓練も大切だけど.....

去年12月に港北公会堂で、港北区社会福祉協議会の、障害者セイフティーネット分科会と区役所の応援で、防災の勉強の集会がありました。
私たちも聞きにいきました。
区役所の担当の人が「横浜市・港北区の被害想定と災害時要援支援について」を話し、東日本大震災の体験者の講演と、障害児訓練会「あおぞら会」の取り組みのお話でした。
東北から来てくださった講師は、重い障害者のお子さんがいるお父さん(青田由幸氏)で、私が映画で見たことや聞いたことのほかに、細かく体験をお話ししていました。
「大震災の時は、自分の家ですごしました。普段から1部屋を避難する場所に決めていたので、その部屋で過ごせるように、カセットコンロやボンベ、ペットボトルの水や、食糧などを、たくさん押し入れにいれていました。トイレの水は、いつもお風呂の水を流さないようにしていたので、それを使いました。
ほかの障害者の人たちも、避難所にはいられず、危ない自分の家に帰って生活をしていた人も多かったのですが、食べ物などは届けられませんでした。危ないので外に出ることもできないし障害者はとても困りました。」と言っていました。

*  *  *

何度か書きましたが、皆大変な時ですが、こんな時、ちょっと声をかけてくれたり、見に来てくれる人がいるといいなと思います。
また、避難所も、学校はたいへんです。もっと障害者がいられるところがほしいです。
活動ホームも、少し狭くて十分ではないけれど、車いす用にできているので、生活の用意はできている。そこにもっとしっかり準備をしておけばよいとおもいます。
また、その時いた近くの活動ホームへ行くことにすればよいと思います。例えば私は、実家にいた時は「しもだ」よりも「ともだちの丘」や「しんよこはま」の方が近いのです。
この時、職員が来られなくても、介助の人と一緒に行ける準備もしておけばよい。
いつも言うことですが、今度お話を聞いても、友達や仲間や、理解してくれる人たちがいることが、とても大切だと思いました。
でもこれは、自分だけで思っていてもしかたがありませんね。みんなもそう思ってくれないと難しいのですが...。
母は、私が実家に帰ると、少しなのですが、いつも私をおんぶします。それは、母の力がなくならないようにですが「友子が誰かに負ぶってもらう時のための練習でもあるから」といいます。普段の生活の中で、少しずつ続けておくのといいます。

*  *  *

避難訓練のことは、時々聞きますし、ときには地域の訓練にも参加したりしていますが、練習のための練習だけではなく、いつも少しずつ身近なところで、準備を続けていく方がいいですね...。

« 前へ次へ »