(2016年12月10日 154号より)
どんな時でも普通に暮らせるように…
年の秋ごろの事ですからもう1年も前になりますが、母が病院にいきました。ちょうど「しもだの秋まつり」の代休だったので、私は家で待っていました。
帰ってから母は、ガンだったと言いました。私は「うそ、うそ…」と、心がとても暗くなりました。
母は、『皆にはまだいわないでね。そろそろと少しずつ言うといいのよ…』といいました。すぐどうかなるということではないから、と言いましたが、私はずっと前、仲間のお母さんが急に入院して困った時のことを思い出しました。
私は、ときどきメールをする友達に、心配なことをかきました。そして、活動ホームで細かくおはなしをしました。
少し叱られるように『元気を出して』と励まされました。
それから少しずつ、母のことをみんなに話しました。
* * *
私は、いつも週末に家へ帰るので、月曜日に母が検査で病院へ行くときは、一人で福祉タクシーで活動ホームに行ったり、グループホームにかえりました。
春に母は手術をすることになって、私は、グループホームでずっと過ごし、皆によく見ていただいて、いつものように普通の生活ができてよかったです。土曜日には、活動ホームの余暇活動の青年クラブがありました。その集まりに行くと頭の中がすっきりとなって、心配な事を忘れたわけではなかったけれど、皆で明るく笑って、活動していると気持ちがらくになりました。
母が退院して私の介助をできるようになると、私も、前のように週末は実家で過ごす元の生活にもどりました。
母は2回手術をしましたが、今は前と同じように元気にすごしています。私も休日に姪たちと過ごしたり両親と話したり、パソコンをしたりと、いつものように私の生活のリズムで忙しくしています。ダループホームだけだとちょっぴり疲れるし…
* * *
前にもよく書きましたが、私は話せないので、ほんとに解ってくれる人たちがいると安心ですし心強いです。家にずっと暮らす人でも、話ができる障害者でも同じだとおもいます。そして何でも話せる人が近くにいると良いと思います。